ボリス・ヴィアン『日々の泡』(曾根元吉訳)を読む

日々の泡 (新潮文庫)1970年代、約40年前の20代で読んでいるが、今のほうが何倍もおもしろく読めた。あの頃は、流行のオシャレな小説という感じで読んだのだと思う。転職を繰り返していた頃だが、景気もよくて仕事はいくらでもあった。だから、この小説の純粋さはオシャレとしか感じられなかったのだと思う。今は、この純粋さが痛いほど伝わってくる。

訳者による解説によると、フランスでは、1959年の作者の死後数年たったアルジェリア独立事変のころから1968年の五月革命にかけて、青年読者層に歓迎されたとある。1959年というとぼくは中学1年生で、それからはベトナムほどでないにしても、アルジェリアの文字を新聞やTVニュースで何年も見ることになった。フランスの青年たちとぼくとでは切迫感において隔たりがあったに違いない。

作者のボリス・ヴィアンはジャズ・トランぺッターで1946年にこの『日々の泡』を書いたという。作中、ディーク・エリントンが何度も話題になり、曲が流れる。優雅なスイング・ジャズであるエリントン・ナンバーが本作品を上品なものにしているのは確かだ。

しかし、本書の純粋はエリントン・ナンバーではなく、当時アメリカで生まれていたビバップこそふさわしいと思う。つまりエリントン・ナンバーの優雅さをまとっているが、その衣装を包む肉体は、チャーリー・パーカーやセロニアス・モンクのビバップ・ナンバーに痙攣するように震えている。そう、この小説はアメリカのビートニクにつながっているのだと思う。