写植の思い出

100910

最近、このブログの読者の方から、写植書体についての問合せがあった。また、グラフィックデザイナーとフォントについて話をすることもある。そんなことで「写植」について書いておこうと思った。ほんとうは何年も前から「写植」についてのサイトを作りたい気持ちを持っているが、まだまだ実現しそうにない。このブログで、まだ覚えている「写植」についてを記録しておこうと思った。

写真は今でも保存している書体見本帳。左から、写研の『写植NOW[1]』、写研の書体見本帳、モリサワの書体見本帳、リョウビの書体見本帳。わたしは写研の写植機、書体を使っていたので、写研の見本帳だけでよさそうなものだが、印刷物の書体名を判断するために、他社の見本帳を必要とした。

左端の『写植NOW[1]』は他の見本帳とちょっと違う。編集デザインに杉浦康平氏の名前が載っている。コピーライトは1972年なので、表紙の1982は改訂版の年だと思う。非常に美しいレイアウトの見本帳だ。表紙の書き込みは、グラフィクデザイナーに文字の仮想ボディについての説明をしたときの痕跡だ。

写研の見本帳に “bilbo” のシールが貼ってあるが、これはわたしの1977年に開設した写植事務所の屋号だった。写研見本帳は得意先のグラフィックデザイナーに渡していた。原則、一人に一冊渡していたのでけっこうな冊数を写研から取り寄せていた。新書体が増えて改訂版が出るたびに配布していた。

“bilbo” シールだが、MacPlusとドットプリンターで作ったもの。MacPlusを購入したのは1987年だった。このころはまだ写植の仕事が減っていなかった。だから当時の高価なMacが買えたのだが、1990年頃のバブル崩壊から徐々に不景気になり、仕事が減っていった。その上、グラフィックデザイナー自身がMacを使って仕事をするようになり、写植屋に仕事が回ってこなくなった。1997年、大量の書体と写植機を廃品業者にお金を払って処分してもらい、写植事務所を閉めた。