グラムロックシーンの映画『ベルベット・ゴールドマイン』

70年代のグラムロックシーンを描いた映画『ベルベット・ゴールドマイン』がとても面白かった。amazonプライムビデオで鑑賞。70年、ぼくはフリージャズに没頭していた。パンクロックを聞くのは70年代の後半になってからだから、グラムロックの頃のロックシーンは全く知らない。ジャズを聞いていると、ロックは商業主義に堕落していると思い込み全く聞かなかった。ロックもジャズも聞いていればよかったのに、と今なら思うけど・・・。

美しい男たちが美しく化粧して、美しい衣装に身をつつんで、ときに愛し合う、というビジュアル的にも引き込まれる映画だが、それだけじゃない。グラムロックに身を焦がす悲しみに共感!

《『ベルベット・ゴールドマイン』鑑賞で役立つサイト》

  • 浮気なシネ漫歩 第74回:「ベルベット・ゴールドマイン」
    この映画は構成が複雑なので、グラムシーンを全く知らないぼくにはストーリーを追うのが難しかった。見た後で『浮気なシネ漫歩』サイトのこのページを読んで映画の内容がより理解できた。これを読んだ上てもう一度みたらもっと映画がもっとおもしろいと思う。

アン・リー監督『ブロークバック・マウンテン』(Brokeback Mountain)

ぼくはジョン・ウェインの出ている昔の西部劇が好きなんで、カウボーイの出てくる今の映画ってどんなかなーと軽い気持ちで見たんだ。そんな軽さを吹き飛ばすとんでもなく重い映画だった。1963年から20年間のアメリカ西部を舞台にマイノリティに厳しい現実を描いている。見た後に公開当時はとても評判になった映画らしいと分かったが、そんなことは何も知らないで見ていたからびっくりだった。大好きな映画、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』と同じで、ムチャクチャにやるせない気持ちになった。今後何度から見るだろう。

あいつは俺の友達だった
あいつは道端で死んだ
いつも旅を続けていた
求めるものが得られずに
あいつは俺の友達だった
いつだって俺は金がなくて
いつも心が満たされなかった
でも あいつは俺の友達だった

と、映画の後のクレジットのバックに歌が流れた。身につまされる歌詞だったので一部を書き取った。主人公の青年は技術職カウボーイをやりがなら、生活に追われて仕事に人生のほとんどの時間を取られていた。そこんところがぼく自身とオーバーラップして身につまされた。
主演のヒース・レジャーとジェイク・ジレンホールが良かった。

 

ダダリズムを聞いて釜ヶ崎へ

ホテルが並ぶ環状線新今宮駅南側、通称釜ヶ崎
ホテルが並ぶ環状線新今宮駅南側、通称釜ヶ崎

2015/03/21、ンチチビルのダダリズムを聞いた。小さな空間に大勢のオーディエンス。一番前の椅子に座った。目の前に2台のドラムセット。音が渦を巻いて体に沁みこんできた。

ダダリズムの音が心の何かのスイッチを入れたらしい。歩きたかった。ンチチビルを出るとすぐJRの高架にぶつかり、そのガード下をくぐり抜けると釜ヶ崎だった。路上で男たちが寝てて、路上で黒猫たちが遊んでいる。一泊1400円の安ホテルの看板の明かりで、街路樹の白いモクレンの花が闇夜に浮かび上がる。孤独な街の白いモクレンは場違いな花嫁衣装のようで淋しすぎた。

街に漂う小便の匂いを嗅いで、強く昔を思った。40年以上も昔の20代前半、オレはこの街にいた。日雇いをやっていたので早朝に寄せ場に通った。路上に並ぶ飯屋で朝食を食い、人夫を集めるマイクロバスがぎっしりと並んだ、喧騒の中でその日の働き口を得た。夕方、街に帰り、飲み屋で、コップに注がれる焼酎を飲んだ。軒を連ねる飲み屋から笑い声や罵声と共に「ここは天国釜ヶ崎」の演歌が流れていた。今、あの喧騒はない。変わらないのは小便の匂いだ。

三角公園を目指したが、見つからない。迷ってしまったらしい。強い酒が飲みたかった。でも、のれんをくぐるのを気後れしている。今じゃオレはこの街の余所者だ。三角公園を探して歩き続けた。やっと見つけた夜の公園に佇んで、この街に引っ越してきた最初の日、公園の地べたに並べられた日用品の品々の中から電気炊飯器を買ったあの日を思い出した。会社勤めに嫌気がさして吹き溜まりに流れ込むようにしてこの街にやってきた。あの日、街の喧騒に救われていたが、今の釜ヶ崎は淋しいだけの街だった。

(Facebook より転載)

ンチチビルのダダリズム(2015/3/21)

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ダダリズムの演奏を聞きにンチチビルへ向かった。地下鉄大国町駅で下車。南海本線の高架を目指して歩いた。高架の向こうに見えるのは通天閣。

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南海本線の高架に沿って少し歩いてンチチビルを見つけた。

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これがンチチビル。ダダリズムの演奏は階段を上がった3階で行われている。

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《ダダリズムサイト》

藤圭子『女のブルース』

http://youtu.be/sSYvZAgULus

今日、宇多田ヒカルさんはサイト(Hikki’s WEBSITE)に藤圭子の葬儀について書いている。葬儀はなく火葬のみという点について、母の遺言書に基づき、その意向にそうべく精一杯の弔いをしたとある。また藤圭子は身内や知人の葬儀に出席せず、自分のやり方でお祈りを捧げるポリシーの持ち主だとも書いてあった。

とても共感できる内容で、また一段と藤圭子が好きになった。ぼくも葬儀や告別式は好きでない。できることなら出席したくないけれど、全く出席しないのは難しい。でも、自分のときは病院あるいは今度の藤圭子のように警察から火葬場に直行して葬儀なしで焼かれたい。遺骨は散骨などで処分されて墓に入れられたくないと思っている。

今日は宇多田ヒカルさんのサイトを読んでから、藤圭子の初期の唄を何度も聞いた。「新宿の女」(69年9月)、「女のブルース」(70年2月)、「圭子の夢は夜ひらく」(70年4月)、「命預けます」(70年7月)のデビュー曲から4作目までを何度も聞いた。「女のブルース」の歌詞の良さに気づいた。「命預けます」の唄いっぷりに惚れた。69年から70年はぼくにとって特別な時で、彼女の唄が心に沁みていた。今彼女の唄を聞いていていると、いやでも当時のことが浮かんでくる。

当時ぼくは、安保闘争などの左翼運動が終焉して完全に行き場を失っていた。セクトに属さなないただの活動好きに過ぎなかったけど、運動の終焉はこたえた。カミさんとひっそりと文化住宅に住み、時々早朝に起き出して日雇仕事に出る以外は誰にも会わない(会えない)日々が続いていた。仕事を得るのは釜ヶ崎の寄せ場から港区の職安に変えていた。地下鉄に乗って大阪港駅で降りて職安に行った。仕事は大阪港がメインだけど、神戸や堺の方にも行った。遠くだとマイクロバスで運ばれる。大阪港だとすぐ近くの岸壁から小さな船に乗せられて港内に停泊している貨物船まで運ばれる。昼の弁当を渡されて屋根もない小型船に乗り込むが、冬だとまだ暗く粉雪が舞っていることもあった。そんなとき弁当の包みを抱きながら藤圭子の唄を口ずさんでいた。

71年か72年かはっきりしないけどジャズ喫茶「マントヒヒ」に通いだしてから人と話しをするようになった。それまではカミさんと二人だけの、ほとんど引きこもりの日々だった。藤圭子の唄を歌詞に注意して聞いていると、当時のぼく自身の心の内がすけて見えるようだ。

ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男

ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男 [DVD]スティーヴン・ウーリー監督「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」(2005年)を見た。ストーンズの映画じゃない。あくまでブライアンの最後の数ヶ月を追った映画。
ブライアンは「くまのプーさん」が好きで、作者のA.A.ミルンが住んでいた古い屋敷を買って住んでいた。その屋敷のプールで死んだという話しを昔、読んだときはとても衝撃を受けた。この映画ではミルンが、ブライアンが、住んでいた実際の屋敷ではないが、「くまのプーさん」がイメージされる似たような屋敷が使われている。
と言っても子どもと見ることはすすめられない。この屋敷ではドラッグとセックス漬けのシーンばかりだ。

実は初期ストーンズのライブシーンを期待していたが、最初のタイトルバックだけだった。そこでは「リトル・レッド・ルースター」をもちろん役者がやってるんだけど、かなりいい。ストーンズファンの中でもブライアン好きには必見の映画。ショッキングな内容です。
見終わってから初期のストーンズを聞き続けてる。

マイケル・ウィンターボトム/マット・ホワイトクロス監督『グアンタナモ、僕達が見た真実』(2006年)

マイケル・ウィンターボトム/マット・ホワイトクロス監督『グアンタナモ、僕達が見た真実』(2006年)を見た。ウィンターボトムのドキュメンタリータッチが冴える、すごい映画だ。

イギリスに住むパキスタン青年が故国パキスタンで結婚式をあげることになる。やはりイギリスに住むパキスタン人の友人たちが式への参列をかねて帰郷する。式を前に彼らは故国での休暇を楽しんでいるが、ふと立ち寄ったモスクで宗教指導者のアジ演説に触発されてアフガニスタンへの小旅行を思い立つ。軽い気持ちでアフガンへの国境を越えるが、もうそこは想像を絶する別世界で戻ることは絶望的な状況に陥る。

国境へはパキスタンから山岳地帯に入ってアフガンに至るが、風景が素晴らしい。イスラム圏の緊張で張りつめた空気がひしと伝わってくる。実際にアフガンにカメラが入っているのだろう。村々では例のブブカの女性たちが歩く。リドリー・スコット監督にもシリアやソマリアなど中東を舞台にした映画があるが、あれは北アフリカなど安全な地帯でのロケとかで、緊迫感がまるで違う。

青年たちはタリバン兵らと共に北部同盟の兵士たちに拘束されたらしい。そしてアメリカ軍に引き渡されて、キューバにあるアメリカ軍の捕虜収容所のあるグアンタナモへ。2年半を過ごして釈放されるが、そこでの捕虜への扱いのひどいことといったら、ニュースなどで少しは知っていたがとにかくすさまじい。

映画を見ながら、興奮のボルテージが上昇した。わたしたちはこの映画と無縁な世界にはいない。

長谷川和彦監督『太陽を盗んだ男』(1979年)を見た

太陽を盗んだ男 [DVD]中学の理科教師が東海村の原子力発電所からプルトニウムを盗み出し、安アパートの自宅で原子爆弾を作り、政府を脅迫するという荒唐無稽なアクション大作。理科教師の沢田研二と刑事の菅原文太が熱演。最初はアクション映画というより喜劇かと笑いながら見ていた。しかし、見終わる頃には背筋が寒くなっていた。2011年の3.11以前に見たなら、反体制的気分を映像化したよくできた映画という印象で終わっていたと思う。今見ると、さらに強烈な印象がプラスされてしまった。

SHINGO西成の豪雨の釜ヶ崎三角公園ライブ

1359865894SHINGO西成の釜ヶ崎三角公園ライブに行ってきた。三角公園を目の前にしてどしゃ降りの雨。SHINGO西成が「ここは天国釜ヶ崎」を熱唱している。好きな唄や、いいタイミングだった。光る稲妻と雷鳴、そして豪雨。ステージ前のみんなずぶ濡れ。ぼくもたちまち下着から靴下まで、あっという間にずぶずぶや。ムチャいいライブやった。

でも、ライブの後の盆踊りが中止になって残念。今夜は釜ヶ崎で遊んでいくつもりやったけど、風邪をひきそうでまっすぐに地下鉄動物園前をめざして急いだ。21才になってすぐにぼくは北海道から大阪にやってきた。紹介されていたデザイン事務所では仕事ができず、下町の印刷工場へ行かされた。でも、大阪弁がよく分からず人間関係がうまく行かなくって、釜ヶ崎に逃げ込んだ。60年代のことだ。

まず、飛田遊郭の近くにアパートを借り、この三角公園の市で電気釜とか日曜雑貨を揃えたんだ。そして日雇い労務者を続けた。万博前で景気がよくて、そこは天国だった。誰に気兼ねをすることもなく、気楽な毎日だった。釜ヶ崎に居場所を見つけられなかったら、ぼくはどうなっていたか分からない。だから、釜ヶ崎は故郷みたいなものだ。

galaxy galleryのKC個展

13662318112012.02.10 galaxy gallery 行ったんだけど、pratas では『Into The Light』Mixed by YA△MA – RENOVATION NU Release Party!!!! 。ya△maちゃん回してるし、galleryじゃー、KC (live paint) × uvAntam a.k.a UBAR TMAR (サウンドインスタレーション) と、あそこはなんちゅーかぼく的にはすごい空間になってた。

KC個展は5日のオープニングと10日の2回行って作品をじっくり見られた。ライブペインティングを見られたのもほんと良かった。11日のライブは行けなくて残念だった。

去年の KC個展 ”Bon Voyage” 2days closing pARTy!!! で初めて見て、今回が2度目。またの機会があれば絶対に見たい。