Paul の食事パン、大きなカンパーニュ

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写真のカンパーニュは4キログラムのハーフだ。お店では丸ごと置いてあるのはほとんど見ない。ハーフサイズと1/4サイズに切ったものが置いてある。たいていの人は、1/4サイズを買っていくと店員さんに聞いたことがある。ぼくは、何度も行くのがめんどうなので、ハーフサイズを買う。一度だけ、一本丸ごとのが置いてあったけど、さすがに、半分に切ってもらった。正確に計ったわけではないが、うちでは、これで5,6食分になる。一日の食事回数は2回で、主食がご飯ではなくて、この手のハード系食事パンなので、だいたい3日分ということになる。間に麺類や米料理が入ったりすると、もう少し延びることになる。

保存だが、Paul以外で買っている天然酵母のトーストや、ベーグルなどのパンは冷凍保存をしているが、Paulの食事パンは、食べる分だけを切った後は、テーブルの上のカゴにそのまま置いてある。夜はビニール袋に入れる。朝になってビニール袋から出す。出しっ放しだと、表面が固くなりすぎる。かといって、ビニール袋に入れっぱなしだと、湿り気がパン全体にまわって、味が落ちる。と、いうわけで、夜に袋に入れておくのがちょうどいいみたいだ。理由はもう一つある、夏の話だが、ゴキブリが抱きつくようにして食べていた。あれには、まいった。

カンパーニュにはこの4キロサイズの長いもの、2キロの丸いもの、一般的な楕円のパンと3種類あるが、大きいものは食感がいいと思う。それで、カンパーニュを買うときはなるべく2キロのものを買うようにしている。

歯の健康(5)/治療中の歯は治まったが、新たな問題

左下奥歯が膿んだことで、歯科医院に通院しているが、経過は良好だ。思えば、去年の終わり頃から痛かった。痛かったり、おさまったりの繰り返しで、やり過ごしていたが、春ぐらいには物が噛めない痛さになって、行きつけの歯科医院に行ったら、抜くしかないが経過を見ましょうということになった。上の歯を削って噛み合わせの調整をしただけで、痛い方の歯の処置はなかった。しばらく、放っておいたが、別の医院でも診てもらおうと思って、6月から今の先生に診てもらっている。

そこでもレントゲン写真を見て、やっぱり抜くしかないが、それは最後の手段ということで、治療を続けようとなった。前にも書いたが、、歯が膿むとは、歯を支えている歯槽骨が溶けている状態で、それが進行すると、歯がぐらぐらしてきて、抜歯ということになるらしい。当の歯自体は神経を抜いているので痛まない。溶けた膿が歯肉を圧迫しるので痛み、同時に歯を持ち上げる。そんなんで、噛んだ時に今迄以上に圧力がかかって、痛みはきついは、膿みもひどくなるという悪循環だ。

最初は丁寧に歯垢を取ったりの治療だったが、10月の終わりには、切開して膿を出した。その後もはれぼったい鈍痛は残っていたが、12月に入ってからは、鈍痛の回数自体が減って、良好な状態を保っている。で、今日は約、2ヵ月振りに経過を診てもらう予約の日だった。2、3日前からタイミング良く、右上のブリッジ部分が腫れぼったい感じがする。その部分のレントゲンを撮ると、ブリッジを支えている要の歯が、竹にくさびを打ち込むような状態で縦に割れている。もう、これは抜くしかない。一難去って、また一難だ。治療からずいぶんと経っているブリッジだ。しかたがない。

さて、医院は今日迄で、予約の患者さんも入っているだろう。ぼくも早く帰って仕事をしたい。抜くのは年が明けて、ゆっくりと・・・と提案したら、そうしましょう、となった。化膿止めと痛み止めの薬を渡されて、「良いお年を」と言われたので、おもわず、はははと笑った。先生もはははと笑ってる。抜歯の歯を抱えて正月を迎える。良いお年もないわな。年内に片付けておきたい仕事も何件か残っている。明日は整骨院の先生に行く約束をしている。腰痛だが、だいぶんに良くなったけど、まだ残っている。なんやら、さえなくて、やたら忙しい年の瀬だわ。

化学調味料って・・・

ウチでは、昼食後はNHKテレビの連続ドラマ『芋たこなんきん』を見ながら一休みしている。今日は、そのドラマの話ではなくって、化学調味料について・・・。ドラマの後の「スタジオパーク」というバラエティ番組のゲストに可愛らしい女優さんが出て来たので、つい、スイッチを切らなかった。実は、勅使川原 郁恵さんという元冬季オリンピックはショートトラックの入賞選手だという。彼女が手料理を実際に作る段になって、「わたしは、化学調味料と砂糖は使いません。」と言ったのを聞いて、2ヶ月前にもあるセミナーで講師の有名実業家も同じことを言っているのを思い出した。母親は化学調味料は一切、使わない人だった。おかげで今の健康な身体があると思って母親に感謝している、と40代の実業家が言っていた。

化学調味料や白砂糖が身体に良くないって言うことは健康に関する本などを読むとよく目にする。お歳暮のシーズンなんで、思い出すけど、父親は少し大きめの会社のそこそこの役職にあったので、子どもの頃はお歳暮やお中元がかなり届いていた。その中に必ずあったのが化学調味料だった。小学生の高学年の頃からだよね。食卓には必ずその科学調味調の小さな容器が置かれるわけ。最初は、ふたにいくつか開いた穴も小さかったけど、消費量を拡大するためか、大きくなった。

あの頃は、ほうれん草のおひたしから漬け物その他、なんでもかんでもに振りかけるのが習慣になってた。ほんとうのところ味は分からなかったと思う。ただ、化学調味料を振りかけるというのが文化的生活に思えたんだと思う。そうそう、唐揚げとか、フライ、ハンバーグなんかもその頃から母が食べさせてくれた。横に添えてキャベツの細切りを残すと、ビタミンCだから、食べなさい!なんてね。そういう食事が先進的文化のように思えてたんだな。純和風なおかずは古い食習慣と見るようになっていった時代だった。

ところが、ぼくは、魚がとても好きで、洋風よりも純和風おかずの方が好きで、母には随分と抵抗したものだ。その一つが化学調味料だった。たぶん、ぼくは掛けすぎていたのかもしれない。ある時、いきなり、味に違和感を覚えて、一切使わなくなった。自分が使わないとなると、やれ、みそ汁には入れるな、なんて、各自が使うのは自由だけど、調理には使うな、なんてうるさいことを言って、母をうっとうしがらせたものだ。でも、子どもの頃は台所に入っては、母の横に立って料理を覚えた。手伝っていたのか、じゃまをしていたのか、もう記憶がはっきりしない。

最近はめっきりと自分では料理をしなくなったが、一時はけっこう作っていた。丸元淑生さんの料理の本に出会ってから、昆布、鰹節、出しジャコなんかで、だし汁を作ることが自然にできるようになった。無理して化学調味料を避けてるんでなくて、それらとは自然と無縁になったのは丸本さんの本によるところが大きいかも。もうずいぶんと昔のことだけど。

腰痛で初めて「さらし」を巻く

今朝、寒かったが暖房も消して、窓を開け放して、その上、薄着で部屋の掃除をしてた。中腰になったとき、腰に電気が走ったような痛みを感じた。ヤバっ、と思ったけど遅い。ぎっくり腰と言うほどではないが、腰痛だ。今迄の経験から、当日よりも、二日目、三日目と痛くなり、1週間ぐらいは、しんどい状態が続く。

今は、肩の治療に整骨院に通っている。だいぶんに良くなって、今ではたまにしか行っていない。それでも、こういう不意の事態に気軽に行ける整骨院があるのはありがたい。昼食を食べる頃は、椅子から立つのに難義するほどの痛さになっていた。で、整骨院へ。

腰を曲げて、どの角度で痛いのかなどを診てから、あっちこっちの筋肉(筋)を押す。部分によっては、「あッ、痛!」となる。その後、テーピングをしてから、また筋肉を押す。最後に「さらし」を巻いた。

巻いてもらいながら、「先生、さらしは初めてですわ。やくざ映画ではよく見てましたけどね。うん、分かりますね。気合いが入るわ。」、先生「そやろ!」。

病気ばっかり・・・

ここのブログを数日休んでいた。コンスタントに毎日書いていたので、案の定、友だちから寝込んでいるんでは? と電話があった。寝込んだわけでもない。体調が少し悪かった。その上、仕事も企画みたいな、お金にはならないけど、考えなければならないことが重なったりで、ブログを続ける気力が失せた。毎日、続けるというのはほんとうに大変なことだ。

で、病気の話だけど、ぼくは本態性高血圧症で、血圧を薬も使ってコントロールしている。ウォーキングや食生活と共に薬も利用しているというのが正確だ。昨日、その薬が切れたので近所の開業医院へ行くとき、同じフロアーの人とエレベーターをご一緒した。脳腫瘍の手術から復帰した方で、よい機会だと、その前兆などをお聞きしながら二人で歩いた。病気の話ははずむものだ。前兆らしきものはあったけど、その方の身内の方が脳卒中になったことが検査を受ける動機だと話された。

ぼくの方も、心筋梗塞とくも膜下出血があったと言った。ちょっとでも気になることが出てきたら、検査を早めに受けるといいと言われた。但し、検査には待ち時間が長いそうだ。それだけ心配な人が多いのだろう。そういえば、今日、女優の岸田今日子さんが脳腫瘍で亡くなったと報道されていた。亡くなってから脳腫瘍と分かったのだろうか、検査したけど、もう腫瘍を取ることはできなかったのだろうか、腫瘍は取ったけど、手遅れだったのだろうか・・・。報道では何も分からない。

身内や知人にはまだまだあるのだ。軽い脳梗塞から復帰はしたものの再び脳梗塞が再発した人。悪性腫瘍から抗がん剤治療を始めた人。肺がんで病院に担ぎ込まれた人は、手術不可能の状態で助からないだろうと言われながらも、奇跡的に抗がん剤が効いて退院できた。本人は、普段、ほとんど薬を飲んだことがないので、抗がん剤が効いたに違いない、と言っている。みんなぼくと同世代か若い人の例ばかりだ。

話はつきなくて、クリニックの前での立ち話を終えて、中へ入ると、親子連れでいっぱいだ。「先生、忙しそうですね」と言うと、「ノロウイルスばっかりや、今年はすごい!」という。「インフルエンザの予防接種はまだか?」と言うんで、予防接種みたいなもの、カケみたいなもんやし、なるべく薬は身体に入れたくなくし・・・と思ったけど、「ほとんど、出歩かないんで、いりませんわ」と断った。肝心の血圧だけど、「なんや、高いな、何かあったんかいな?」と先生。「いやー、特別なにも・・・」と話をにごしたけど、脳腫瘍の生々しい話を聞いたばかりで、血圧も上がって不思議じゃないと思う。

ご飯は食べない、お米を食べている

1165078657お茶碗に入れて、お箸で食べるのがご飯。ご飯を食べなくなって、2ヵ月ぐらいだろうか。気分を変えようと、止めることにした。で、なるべく漂白していない材料でできているパンと「うどん」か「そば」の麺類を主に食べている。と、いってもお米を止めたわけではない。カレーライス、麻婆豆腐、おにぎり、それから、お米サラダなんかで食べている。ご飯を食べないから、醤油は使わない。麺類のつけ汁ぐらいだ。パンと組み合わせるということで、酢やオリーブオイルで味付けされたおかずが多い。

そのお米は五分づきに、十穀源を混ぜたものを食べている。とてもおいしい。幼い頃の記憶では、押し麦を混ぜたご飯だった。育った家では押し麦の割合はけっこう高かったのではないかと思う。厳格な祖父が亡くなってから、ご飯はいつも間にか、100パーセントの白米になった。それがおいしかった記憶がある。

ぼくは、ご飯が好きだ。炊きたてのご飯に、アジの塩焼きと漬け物、みそ汁があれば、何杯でもご飯を食べれられる。でも、止めた。豆腐や納豆はサラダで食べているが、醤油もみそ汁も懐かしと思ったことはない。いつまで、続くかわからないけれど、今のところまだまだ続きそうだ。

食べ過ぎは糖尿病のもと

特に健康雑誌とか、病気の本を読んでいるわけではないが、新聞とか普通の雑誌とかで、最近は糖尿病の記事が気になる。たぶん、記事自体が多くなっているんじゃないかと思っている。糖尿病だけでなくて、生活習慣病全般に気をつけなければならないけど、これだけが一番意味不明だから気になる。今でも、よく分かっているわけではないが、最近は立て続けに新聞や雑誌の記事を目にして少し分かってきた。

3年ほど前の血液検査で、血糖値が高いと言われた。野菜と魚中心の食生活だから、血糖値が高いのは納得が行かなかった。あれ以来、計っていないが、今なら、たぶん正常だと思う。3年前を考えるといくら、野菜と魚中心の食生活といっても、食べ過ぎていたと思う。酒とご飯が好きだから、晩酌でおかずも食べたあとに、ご飯でまた、おかずを食べるなんてことを長いことやっていた。いくら身体にいいものを食べたって、食べ過ぎだわ。

血縁者に糖尿病が珍しくないことも気になっている。人類の歴史の大部分は飢餓の連続だったという。なので、空腹で血糖値が低下しても、様々なホルモンが血液中に分泌されて、正常値を保つという。つまり、空腹に関する危機管理はしっかりとシステム化されているということか。反対に食べ過ぎて血糖値が上昇してもそれを下げるホルモンはインスリンひとつしかないという。こころもとない危機管理だ。そこから推察すると、糖尿病になりやすい遺伝子を受け継いでいるとしたら、インスリンを分泌する膵臓機能が弱いということになると思う。

だったら、膵臓に負担を掛けるような生活習慣は絶対にダメということ。良い生活とは? 様々な記事で共通している。食べ過ぎない。歩く。スクワット。これで高血糖値を防げるらしい。完璧とはいえないけど、結構がんばってる。スクワットも少しづつ、回数が増えている。なぜ、スクワット? 歩行もそうだけど、下半身の筋肉を鍛えるためだって。下半身の筋肉が衰えると、消費する糖の量が減り、結果、高血糖となる。

じゃあ、高血糖がなぜいけないかと言えば、血管を痛めるからなんだそうだ。血管が痛むことで様々な疾病の原因になる。痛んだ血管と高血圧がセットになるとそれは怖い。そうそう、昨日の新聞に喫煙者にガンの比率が高いという報告が載っていた。ぼくは20年前に胃潰瘍で入院してからきっぱりとタバコを辞めた。ニコチンは血管を収縮させるんだよ。と主治医から言われたのが禁煙の動機として大きかった。当時は東洋医学の本を読んでいて、血液の流れの重要性を認識していたからね。

軽い五十肩で堀江の整骨院通い

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この写真、面白いでしょ。通院している整骨院のショーウィンドウ。肩こりがひどいけど、それとは別な痛みがあるんで、行ったら五十肩になりかけでしょうと言われた。寝返りの際とか、物を取るのに腕を伸ばしたときなんか、「あ、痛っ」となる。それほどひどい痛みじゃないけど、これ以上ひどくなったら嫌なので、週に1度のペースで通院している。指圧のようなこととかした後、テーピングをしてもらっている。テーピングってすぐに効果が現れるので、素人目にはほんと不思議です。

このショーケースも不思議でしょ。何十年も昔から、このまんま。設置したのは、現在の先生ではないらしい。実はここは堀江。今は整骨院の回りはおしゃれなブティックやカフェに囲まれてるけど、昔は違った。古くて小さなビルや家屋の中に古い材木会社が点在するだけの寂しくて陰気な街でした。

その昔は南(難波ともいう)で良く飲んでいて、酔い覚ましに歩いて新町まで帰ると、ここはちょうど中間で、真夜中にこのショーケースを見るのはちょっと不気味でした。まさか、ここに通院することになるとは思っていなかったなァ。患者さんもお年寄りより、ファッショナブルな若い男女を見る方が多い。みんな、腰痛。ブディクやカフェの店員さんかな。

歯の健康(4)/小学生の頃の虫歯治療

幼い頃、乳歯を抜くため、無理矢理に歯医者さんに連れて行かれたが、虫歯の治療はボイコットしていた。おかげで、小学生の半ばには虫歯だらけだった。学校の検診に来た歯医者さんに直すように言われて観念した。自分でもいい加減、困っていたのではないだろうか。

乳歯を抜いていた頃は別な市の街中に住んでいたから、歯科医院も近くにあったが、この話は、街の中心部から離れた辺境に住んでいたときのこと。校医の歯科医師は街の中心部の医院から、週に何度か辺境の医院に通ってきていた。その医院は、鉄道の本線と貨物の引き込み線が交わる、両方の線路に挟まれる場所にあったので、治療中も列車が通る度に振動が伝わっていた。

医院と言っても、見た目は小屋に近く、木造の平屋の小さな建物だった。通ってくる先生が入り口の鍵を開けるという具合で、全くの一人でやっていた。先生の来るのが遅れるとぼくは入り口の前で待っていたものだ。寒い季節だと、ストーブをつけたり、湯を湧かしたりということから始まる。

ぼくの虫歯はとてもひどかったので、すごく長い通院だった。治療前に何かの手伝いを頼まれると嬉しかった。そして、準備が整うと、列車の振動が伝わる治療の椅子に座って恐怖に耐えた。いつも、先生と二人だけだった。

先生は中年の女性で、一言で、かっこ良かった。母や近所のおばさんたちと同じ年頃なのに着ているものが違ったし、何といってもプロの職業婦人は専業主婦とはずいぶんと違った。小学校にも職業婦人の先生はいたが、街中からやってくる歯科医師に比べるとヤボったかった。優しくはなかったが、ぼくは観念して長く通院した。もし、その女性の先生でなかったら、あんなに完全に治療を終えることができたかどうか疑問だ。あの時、直していおいて本当に良かったと思う。その後も、あっちこっちの医院で何人もの先生に診てもらったが、今の担当の医師はあの時以来の中年の女性の先生だ。

床屋さんで長髪の相談をする

髪の手入れというのが、めんどうくさくて、もう何十年も短い髪型なんだけど、長髪にしようと思った。で、何時から散髪をしていなんだろう。何ヵ月なんだけど、髪を切らなかれば長髪いなるだろうと思っていたが、それが間違いだとわかった。なんともおさまりが悪くなって、十年ぐらいの行きつけの床屋さんへ相談に行ってきた。

中年にはまだしばらくある若い夫婦二人でやっている床屋さんなんだけど、若い女性客を見かけるのも珍しくないので、ご亭主のカットの腕前はいいに違いない。ぼくにも伸びるのを想定してパパッと素早くカットしてくれた。後は、延々と奥さんから長髪までの注意点とか手入れとかの指導を受けた。あー、もうあんまり覚えてないな。めんどうならまた、短髪かも・・・。でも、肩まで伸ばそうかな、って言ったら「やりましょう!」って、ノリノリだ。

少し白髪も交じってきているので、その辺りが注意しなければならないそうだ。白髪は色だけでなく、髪に含まれる水分が減っているという違いがあるそうだ。ふんわりと、ボリューム感が出てしまうそうだ。作家の五木寛之さんとか、俳優の田村正和さん、小泉元総理の髪質や散髪屋が工夫しているであろうことなどを聞いた。

前髪の処理でも、ブラシを駆使してあれと、これではイメージが違うでしょ、と熱心だ。基本は立てて寝かせる。あ、そうか東大教授の姜尚中さんだなと思った。テレビで見る姜さんはかっこいい。もちろん話の中味も。

それから、白髪の話のときに気になることを聞いた。子どもの髪を見ていると、最近は真っ黒な子が少なくなっているという。程度はいろいろだが、たいていは少し茶色がかっているんだって。いろんなところで変化が起きてるんだって、話になった。