阿木譲氏の死を知った夜

今日、阿木譲氏が亡くなっとツイートが駆け巡っている。急いで検索したら、写真のツイートが見つかった。どうやらこれが彼の絶筆かもしれない。いかにも阿木さんらしい気取った文章で、ぼくが彼と会った1970年代後半から何一つ変っていないと思い、ホッとした。当時、彼が発行する雑誌”ロックマガジン”や松岡正剛氏の季刊誌”遊”に連載する阿木さんの文章に心底熱狂していた頃を思い出させるに十分なセンテンスだ。あれから40年か・・・、「待っていてもなにもやってこないよ、・・・」、と語りかける彼の言葉で、ぼくは今夜フラフラとアメリカ村を飲み歩いた。5件のバーを飲み歩いて帰ってきても癒されず、こうして書いている。
アメリカ村の生みの親と言われる日限萬里子氏を紹介してくれたのも阿木さんだった。彼に日限さんのクラブ”パームス”に連れていかれた。そこで出会ったショートヘアで男装の麗人日限さんももういない。そのアメリカ村でぼくは今夜も遊んでいる。萬里子さん、アメリカ村も随分と変わったよ、と語りかけたい。ぼくにとってパンクロックは阿木さんなしで考えられないが、アメリカ村そのものも阿木さんなしで考えられない。だから今夜、ぼくはアメ村を飲み歩いた。それが供養のように飲み歩いた。

この5月には一人の親しいフロアフレンドの死にも遭遇した。彼女の死はぼくにとって、アメリカ村の街角で出会った”死”だった。さらに阿木さんの死は、アメリカ村の街角を曲がると、やっぱり”死”に出会う、という感じだ。

UC EAST 個展「Mube」

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昨夜は、unionとcaliflowerで遊んでいた。今日は、UC EAST 個展「Mube」へ行ってきた。会場の20年前に操業を終えた工場は西成区松田町にある。その場所へ強い磁力で引き寄せられるように向かった。50年前近く、ぼくはその松田町の安アパートに住んでいたことがある。用がなければ行く場所じゃない。事実、50年近く松田町に用があることはなく、行くことはなかった。今日は個展という用があって行った。思っていた以上にぼくの感情はたかぶった。途中、会場を抜け出して、思い出をたどるように雨の松田町を歩いた。写真は西成区と阿倍野区の境にある急峻な階段の上から撮った風景。上の段差の阿倍野区から下の西成区を見下ろす独特の風景が大阪市内にあることを知る人は地元民以外はほとんどいないだろう。

この急峻な階段の記憶はあったが、住んでいたアパートは見つからなかった。個展でのライブペイントは体の冷えが激しくて途中で出て、隣町の飛田を歩いて抜けて御堂筋線の動物園前駅から帰った。雨の飛田はピンク色の明かりがまぶしい異様に華やだ街だった。飛田を出るといきなり極貧地帯に入る。ジャズ喫茶マントヒヒがあったのは飛田を抜けて右へ行くとすぐのところだった。反対の左へ行くと、やはり住んだことのある山王町の安アパートがあった。

歩きながら、ぼくはヒッチハイクの路上に立ち続けているようだ、と感じた。いつまで立ち続けるんだろう。長い長いロードムービーの途中みたいだ。ロードムービーを見ていると、押しつぶされるような悲しみに襲われることがある。ぼくは、自作自演のロードムービーをやっているのかもしれない。若いアーティストの活動を追いかけて、ぼくのロードムービーは続いている。

西成萩の茶を歩く

大阪西成萩之茶屋を歩く

2016年2月14日、西成萩之茶屋の難波屋に行った。向井千惠「ライブぱふぉまんす難波屋」があった。向井知恵さんの二胡によるフリージャズを聞いていたのは1980年頃だった。パフォーマンスには懐かしいようななんとも言えない感情に襲われた。終了後、店を出て近くの三角公園へ歩いた。それから地下鉄御堂筋線の動物園前駅までiPhoneで写真を撮りながら歩いた。

この冬最低気温の西区四ツ橋

大阪西区四ツ橋

この冬最低気温の24日早朝、6:40。例によってクラブで朝まで踊って朝帰り。猛烈に寒い長堀通りを歩いて帰った。天気予報で降雪予想が出ていたので帰りは雪が積もっているかもしれないと、自転車じゃなくて歩いて家を出た。上の写真は四ツ橋の交差点で長堀通りを東に向いて撮った。下の2枚は、北方向(左写真)と南方向。

大阪西区四ツ橋大阪西区四ツ橋

上の写真は建て替えのために閉館した大丸心斎橋店本館の午前5時。御堂筋をはさんで行ったり来たりした。

閉館の大丸心斎橋店本館

大阪西区木津川伯楽橋からの眺め

大阪西区木津川伯楽橋からの眺め

港区市岡のピッツァ屋さんへ昼食を食べに行った帰り、木津川にかかる伯楽橋から眺める雲がすごく幻想的だった。自転車を止めて眺めつつ、写真を撮った。暖冬が続いているけど、ここにきて1月らしい寒さになって空気も澄んでいる。生駒の山もくっきりと見えていた。