三ッ寺筋沿いの三軒のバーが会場のパーティ “大安COSMO”

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昨夜はディープな三ッ寺筋沿いの三軒のバーが会場のパーティ “大安COSMO”(https://www.facebook.com/events/201756646849777/)で遊んだ。どちらかというとストイックに踊り続けるクラブパーティに行くことが多いけど、 “大安COSMO” のようなお祭り的なのも大好きだ。こうした大きなパーティには大勢が集まり、それだけたくさんの笑顔に出会える。そこがいいんだよな。知らない人とも目が会えば自然と笑顔になれる場所がディープな三ッ寺筋沿いに出現していた。

ぼくはクラブパーティで遊ぶようになって8年くらいだけど、通い続けるのは笑顔に出会えるというのが大きな理由かもしれない。60年代、70年代はフリージャズやパンクロックの現場で遊んでた。そこは親の仇を探しに来たかのような、目が三角になった客ばかりだった。ぼくもその一人だったが、今から思うと音楽を聞くのに、なぜあんなに殺気立っていたんだろう。疑問だ。だから、始めてクラブパーティの現場に足を踏み入れたとき、そのフレンドリーな雰囲気にひどく戸惑ったものだ。でも、知らない人にも向けられる笑顔に出会ってすぐに慣れたさ。

昨夜は三つのバーを行き来しながら三ッ寺筋を何度も行ったり来たりした。そこは特別な “路上” だったよな。

UC EAST 個展「Mube」

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昨夜は、unionとcaliflowerで遊んでいた。今日は、UC EAST 個展「Mube」へ行ってきた。会場の20年前に操業を終えた工場は西成区松田町にある。その場所へ強い磁力で引き寄せられるように向かった。50年前近く、ぼくはその松田町の安アパートに住んでいたことがある。用がなければ行く場所じゃない。事実、50年近く松田町に用があることはなく、行くことはなかった。今日は個展という用があって行った。思っていた以上にぼくの感情はたかぶった。途中、会場を抜け出して、思い出をたどるように雨の松田町を歩いた。写真は西成区と阿倍野区の境にある急峻な階段の上から撮った風景。上の段差の阿倍野区から下の西成区を見下ろす独特の風景が大阪市内にあることを知る人は地元民以外はほとんどいないだろう。

この急峻な階段の記憶はあったが、住んでいたアパートは見つからなかった。個展でのライブペイントは体の冷えが激しくて途中で出て、隣町の飛田を歩いて抜けて御堂筋線の動物園前駅から帰った。雨の飛田はピンク色の明かりがまぶしい異様に華やだ街だった。飛田を出るといきなり極貧地帯に入る。ジャズ喫茶マントヒヒがあったのは飛田を抜けて右へ行くとすぐのところだった。反対の左へ行くと、やはり住んだことのある山王町の安アパートがあった。

歩きながら、ぼくはヒッチハイクの路上に立ち続けているようだ、と感じた。いつまで立ち続けるんだろう。長い長いロードムービーの途中みたいだ。ロードムービーを見ていると、押しつぶされるような悲しみに襲われることがある。ぼくは、自作自演のロードムービーをやっているのかもしれない。若いアーティストの活動を追いかけて、ぼくのロードムービーは続いている。

リーバイスのカタログ “WE ARE 501”

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リーバイスのカタログ “WE ARE 501” が届いた。写真のモデルさんたちの存在感がすごくておもわず見入った。サイトにも同じ写真が載っているが、印刷されたカタログの方が迫力ある。

《リーバイスの “WE ARE 501” ページ》

『FRaU 3月号』の山口智子の記事に感動

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近所のおいしいパン屋さんでバケットを買った帰り、スーパーにイワシがあったので久しぶりに、白ワインでイワシを煮込むグラナダ風料理が食べたくなって買う。そのスーパーの2階に上がり、料理に使う500円の白ワインを購入。酒売り場の隣の雑誌コーナーで『FRaU 3月号』を探して、昨日ネットで知った山口智子さんのインタビュー記事を立ち読み。字が細かくてしんどい。ペラペラと他のページをめくったらファッションや料理ページがすごくおしゃれだったので、これは買うべしとなった。

帰ってから山口さんの記事「1万字スペシャルインタビュー 山口智子 大人になってからが人生は楽しい」を夢中で読んでしまった。テレビを持ってないので女優山口智子をぼくは全く知らない。でも、鳥肌が立つほど感動。どこに感動って、たくさん共感できること多すぎ。そのうえ、ぼくが今までカミさんの他には口にしていない(できなかった)ことを有名な山口さんが雑誌でサラリと言っている。その潔さに感動したんだ。

私はずっと特殊な育ち方をしているので、血の結びつきを全く信用していない。私はずっと、「親」というものになりたくないと思って育ちました。私は、「子供のいる人生」とは違う人生を歩みたいなと。

この言葉にもけっこう共感しつつ感動したけど、以下の言葉にはもっと感動。

自分の夢を考えないようにして育った反動なのか、自分の好きだと思えることを、仕事として選び取っている人への憧れがありました。

山口さんの生家は旅館業で、彼女は旅館の女将になることを期待されて育ったという。ぼくの生家は敗戦で資産を失った小規模だけど、没落した商家で、商売はしていないのに商家のプライドだけは高かった。決して夢を持つな!と言われたわけじゃない。夢を持たないように「家」がぼくを育てたわけ。そんな家制度の重圧の中で、母は長男のぼくへの愛は溢れるほど持っていたはずなのに、それを表現できないままだった。ぼくもまたずっと、母を愛することを知らずに成長したんだ。

そのせいか、ぼくは十代のわりと早い頃から「家庭(子供)を持たない」を決めていた。もう言われることはないけど、「子供はまだか」の合唱はすごかった。「はげんでいるんですけどね・・・」とごまかしていたけど、本音は口にしたことがない。いや、できない空気に負けていた。山口智子さんのインタビュー記事を読んだから、これからは聞かれたら本音を言えると思う。

故郷への喪失感に語っている部分もすごい。

定められた道から逃れるように、故郷から飛び出したわけです。だから今も、故郷というものへの喪失感は強いですね。自分の帰る場所がどこなのか定まらないまま、何かをずっと探し続けているような・・・。(中略)本当の魂の故郷はどこなのだろうかと・・・。

共感に涙がにじむよ・・・。

西成萩の茶を歩く

大阪西成萩之茶屋を歩く

2016年2月14日、西成萩之茶屋の難波屋に行った。向井千惠「ライブぱふぉまんす難波屋」があった。向井知恵さんの二胡によるフリージャズを聞いていたのは1980年頃だった。パフォーマンスには懐かしいようななんとも言えない感情に襲われた。終了後、店を出て近くの三角公園へ歩いた。それから地下鉄御堂筋線の動物園前駅までiPhoneで写真を撮りながら歩いた。