クリス・マルケル監督/ラ・ジュテ

第3次世界大戦勃発の数年前、オルリー空港で少年は未来の自分を目撃する。29分、モノクロ静止画像によるSF作品。静止画像は一枚一枚がとても美しく、印象的なナレーションの声と音楽とともに脳裏に焼き付いてしまう。

1962年作品、その年ぼくは高校1年だが、2冊の映画雑誌を定期購読していた。「映画芸術」と「映画評論」だ。その「映画評論」の方に「ラ・ジュテ」のシナリオが載った。そのストーリーがどんな映画よりもぼくの心を捉えた。数枚の写真とともにぼくはイマジネーションを膨らませるだけで、見る機会に出会うことはなかった。地方都市では「ラ・ジュテ」に限らず、読んだシナリオが上映されないことは珍しいことではなかった。

それから44年後の2006年、「ラ・ジュテ」の記憶は消えていないが、とうに意識から外れていた。あるフランス映画を探して、大きなレンタルショップを徘徊していたら、そこに「ラ・ジュテ」があった。

ジョン・カサヴェテス監督/アメリカの影

1143811269ケーブルTVで映画「アメリカの影」を見た。1959年制作のジョン・カサヴェテスの監督第1作。即興による演出と言われているが、ニューヨークの街を舞台に描かれた人種問題は、ドキュメンタリータッチで圧倒的な存在感のある映像で迫ってくる。音楽はチャールズ・ミンガス。ジャズと映像が手に手を携えている。50年代はアメリカの豊かな物質文明とモダンジャズの進化として知られるが、朝鮮戦争の終結は53年。ヴェトナム戦争は60年に始まる。アメリカの50年代はこちらが思うほどに明るくはなかったのではないか。公民権運動は55年に始まり、56年には南部諸州各地で黒人の反差別運動が盛り上がる。本作のスタンスは、人種問題を冷静に客観視するカメラレンズの視点だが、過激な運動、さらには、ジャズと反差別運動が手を結んぶのは時間の問題だった。

嫌でも、1957年のフランスの新進監督による「死刑台のエレベータ」の映画音楽がマイルス・ディビスであったことを思わずにいられない。

日本公開は1965年とある、65年から66年にかけて、ぼくは、ジャズを教えてくれた同じ年のいとことジャズの映画を2本見ている確かな記憶がある。一本は「真夏の夜のジャズ」に間違いない。もう1本がどうしても思い出せないでいた。記憶にあるのは、モノクロ映画で、暗い内容を描いた青春映画だったことぐらいだ。そのいとこは数多くのジャズレコードを持っていたが、お気に入りのジャズミュージシャンの一人がチャールズ・ミンガスだったことを考え合わせると、記憶の奥にあった映画はこの「アメリカの影」である可能性が高い。

この頃までに、ぼくはフランスのルイ・マルをはじめ、ゴダール、トリュフォーなどのヌーヴェルバーグ。イタリアのヴィスコンティ、フェリーニ、アントオーニ。ポーランドのイエジー・カワレロヴィッチなどの映画を見まくり。それらの記憶はいまだに鮮明だ。それなのに「アメリカの影」だったと仮定して、なぜ記憶にないのか? 分かるような気がする。

ぼくの見た、当時評判のヨーロッパ映画に共通しているのは、富裕なインテリ階級の精神的堕落だった。そうした、主人公たちの精神描写に往々にしてアメリカのモダンジャズが使われていたのは、ルイ・マルの「死刑台のエレベータ」の成功という理由があるにせよ、とても効果的だった。だが、そこで響くジャズサウンドはピントの合わないフィルムのように、ジャズの一部をどこかに置いてきたようなもどかしさがあった。だから、ヨーロッパ映画は分かりやすかった。

そんな映画に染まっていたぼくが「アメリカの影」という現実に出会った時、理解の前にたじろいでしまい、その先に進めなかったことは十分に想像できる。